日本人の起源を考える

カテゴリー: コラム / 2014 年 10月 1 日
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 鹿児島に数十年ぶりに行きました。現地での講演終了後、島津義秀氏(加治木島津当主で野立ち自顕流師範、鹿児島県指定重要無形文化財薩摩琵琶道場主宰、精矛(くわしほこ)神社宮司)からいろいろと「薩摩」の過去、現在について聞かせていただきました。
 弊欄で何度もご紹介している原丈人氏(内閣府本府参与/アライアンス・フォーラム財団代表理事/デフタ・パートナーズ会長)や西村英俊氏(東アジアASEAN経済研究センターERIA事務総長)と筆者は大阪の追手門学院小学校第76期の同窓なのですが、同校の創設者は高島鞆之助陸軍中将で、薩摩の出身、即ち郷中教育を受けた西郷南洲隆盛や大久保利通の後輩にあたります郷中教育とは師が生徒を指導する当たり前のものではなくて、先輩が後輩を教えるというスタイルの教育システムを指します。
 滅びかけていた郷中教育を再興しようと奮闘されているのが島津義秀氏なのです。「①負けるな②嘘を言うな③弱い物をいじめるな」という3つの柱からなります。
 その発祥は16世紀に遡り、戦国時代の頃です。子どもたちは成人して兵士になり、殺したり殺されたりと人の命を奪うことや他人のものを盗むことに対する抵抗感が薄れてきて、心は荒廃し、モラルは低下していきました。
 そんななかで、島津日新斎という一人の武将が「この国を滅ぼさないためには、次世代を担う青少年の道徳教育が必要だ。
父母を助け、自身の健康づくりをし、一日一日を無駄にせず、学問を真剣に追求する。今、自分がこの世に在るのは先祖のおかげと自覚して、先祖を供養し、敬う。自分がされているいやな事、苦しい事、辛い事は決して他人に対してしないように」と教えたことがその礎となっています。
 因みに①の「負けるな」はもちろん「自分に負けない勇気を持て」といのはいうまでもありません。

 さて、島津家は調べると秦一族の出自と書かれています。そして島津家の家紋はあの有名な「丸に十字」。さらに島津日新斎の「されていやなことを他人にするな」、これらはすべて2000年前のスーパースター『ナザレのイエス」につながってきます。秦一族は三位一体を唱えたキリスト教徒ではないか。また家紋に見る十字架。そして、当時中東で広く知られていたバイブルの言葉。「されていやな事を他人にしてはならない」

 10月5日に出雲大社の千家国麿氏とめでたくご結婚される三笠宮典子様のご祖父、三笠宮崇仁殿下はかつて「日本は世界一の雑種の国だ。ユーラシアの東端なのだから、多くの人たちが日本列島にやってきたのだから」と語っています。世界地図を広げれば一目瞭然ですが、日本はシルクロードの終着地にあたります。まだ見ぬ遥かかなたに理想郷の存在を信じて、多くの人たちがやってきたのではないでしょうか。
 昨今DNAの解析分析技術が進歩し、残された人骨を分析することでそのミトコンドリアDNAを分析することでそのルーツを追い求めることが可能になってきました。それによると日本人の祖先はシベリアからの北方ルート、中央アジアから中国大陸を経由したルート、南方の海洋ルートの大きく分けて3つにぶ類できることが判明しています。その後も同様ルートから日本列島にさまざまな人たちが流入し、現在の日本人の原型が形作られていったと考えられます。
 私たちの日本はさまざまな文化、文明を持って、さまざまな地域からやって来た人たちが作り上げた国のようです。(2014.10.1)


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