かつて世界には本物のグローバリズムが存在した

カテゴリー: コラム / 2013 年 1月 17 日
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 2012年12月21日、地球は滅亡せずに新年を迎えることができました。(昨年末、話題になったマヤ歴のことです)読者の皆様、明けましておめでとうございます。
 過ぎてしまいますと、12月16日の総選挙が遠い過去のような気がすると同時に、やはり「なぜ、飯田氏が全く勝算のない選挙戦に突き進んだのか」について大きな疑問を感じるのは筆者だけではないかと思います。
 
 その総選挙直後の12月17、18、19の3日間、奈良で平城遷都1300年の記念第一回アジア・コスモポリタン賞の授与式とその関連行事に出席しました。奈良県とERIA(東アジア・アセアン経済研究センター:西村英俊事務総長)が主催したもので、筆者は春日大社、興福寺、薬師寺、唐招提寺にご案内いただきました。そしてある人物から面白い話を聞いたのです。
 「『聖徳太子』(以下、太子)という名の人物は存在しなかった。即ち、『太子』という名はその人物が死亡した後に贈られた忌み名で、生前の名前は「蘇因高」と隋で呼ばれた人物で、あの有名な「日出ずる処の天子…」で知られる太子の信書を遣隋使として隋に届けとされる日本名「小野妹子」。太子は多くの人と同時に会話が可能だったされるが、実は複数の言語を話すことができた。幼い頃『馬厨の皇子』といわれたが、私たちが知っているあの悲劇の「蘇我馬子」とも呼ばれ、太子の側近中の側近といわれた「秦河勝」という名でもあった」
 少しでも日本の歴史を学んだ人間にとっては「聖徳太子=小野妹子=蘇因高=蘇我馬子=秦河勝」という方程式など理解の範疇を超えた奇説、珍説視しか思えないほどの説を耳にしたのです。そしてその根底には太子の500年前以上に存在した地球歴史上最大のスーパースター(いうまでもなくキリスト(救世主)と呼ばれたイエス)の影が見られるというのです。
① 馬小屋で誕生したこと(馬子)②蘇我、よみがえる即ち再生③シゴの復活を恐れる連中が聖徳太子という名を贈ったことなど、その傍証だというのです。また、「秦」という文字を分解すると「三人の木」となり、三位一体を唱えたネストリウス派キリスト教であった景教のにおいがぷんぷんするとのことなのです。
 
 以上はある人物の意見(異見?)なので確認する術がないような話なのですが、非常に興味のある説でもあるともいえるのです。
 1000年以上も前の日本で西アジアと東アジアの密な交流があったことは正倉院の御物を見れば一目瞭然です。また、現在アフガニスタン周辺で見られるATLウイルス(成人Tリンパ球性白血病の原因)の遺伝子がかつて日本でも九州や四国で濃厚にみられたのも事実です。臨床から見ても南九州などに風土病的に存在する成人T細胞白血病として医学の世界では知られています。
 
 新年早々、夢のような話を紹介させてもらいましたが、まんざら「インチキ話」として片付けられない部分もあるのです。かつての日本を舞台にシルクロードを行き来しながら西アジアから東アジアへ、そして東から西への流れもきったあったはずです。
 ちなみに太子の依頼で四天王寺を建立したのが世界最古の会社組織として最近有名になっている「金剛組」という宮大工集団で同社のホームページでは「百済」から渡来したと紹介されています。
 かつて世界では今日各地で高まりつつある安物のナショナリズムではなく、地球規模の本物のグローバリズムが存在したのではないでしょうか。それが医学の面から伺えるのですから興味が尽きません。今年もよろしくお願いいたします。(2013.1.16)


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