正岡子規、早世の真実

カテゴリー: コラム / 2012 年 4月 11 日
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 明治の文豪、正岡子規。結核にかかり脊椎カリエスで35歳で夭逝する1年前から病状日記「仰臥漫録」(ぎょうがまんろく)をしたためました。子規が毎日食べたものを1つとしてもらすことなく記録されています。
 明治34年9月2日の項にはこう書かれています。
 「朝・粥4椀、はぜの佃煮、梅干しの砂糖漬け、昼・粥4椀、鰹の刺身1人前、南瓜1皿、佃煮、夕・奈良茶飯4椀、なまり節、茄子1皿
 この頃食ひ過ぎて食後いつも吐きかえす。2時過牛乳1合ココア混ぜて、煎餅菓子パンなど10個ばかり、昼飯後梨2つ、夕飯後梨1つ。服薬はクレオソート昼飯、晩飯後各3粒(2合カプセル)、水薬、健胃剤。今日夕方、大食のためにや例の左下腹痛くてたまらず
 —暫くにして屁出で筋ゆるむ—」
 —柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺—
 あまりにも有名な子規の句で、何か人生を極めた高僧のような趣のある一句と思っていました。しかし、享年35歳。上述の大食・過食の日記をみると、この句のイメージも全く別のものになるのではないでしょうか。9月2日だけが何も特別な日ではありません。ほぼ毎日、このような雰囲気なのです。死を目前にした人間がこれだけの食事をしたかと信じられないのではないでしょうか。

 野生の生き物には肥満や糖尿病などの生活習慣病は存在しません。彼らは何を、いつ、どれだけ食べたらよいのかを知っているのです。本能—まさに大自然が授けてくれた叡智なのです。 彼らがケガをしたり、病気になったりすると、巣穴にこもって心身を休めます。「食べない」ことで消化・吸収・代謝に必要なエネルギーが治療エネルギーに変換されるのです。 子規は新聞社からの給与月40円と俳句雑誌「ホトトギス」より10円の計50円の月収のうち、彼の記録によると、何と月32円72銭3厘(明治34年9月)も食費に費やしていたのです。

 「偽りの栄養学」ともいえる今日の栄養学のルーツはドイツの栄養学者カール・フォン・フォイトに端を発します。フォイトは1863年から45年間ミュンヘン大学で生理学の教授を務め「近代栄養学の父」と言われている人物です。 彼は徹底した肉食礼賛主義者で「炭水化物(糖質)は栄養が乏しいので摂取を控えるように」と唱えていました。ところがフォイト栄養学には何の医学的・科学的・統計的な根拠がないと今日言われています。フォイト栄養学は食品業界とドイツ軍部(大きな肉体、攻撃心。瞬発力を求めた)の要請に応えるためにねつ造されたといっても過言ではないのです。
 一方、1977年、通称「マクガバン報告」、正式には「米上院栄養問題特別委員会報告」。500ページにも及ぶ報告書は全米をパニックに陥れました。アメリカを含む先進諸国民は「十分に良い食事を摂っている」と思いこんでいたところに「我々の食は全く不自然でひどいものであり即刻改めなければならない」と記されていたからです。しかし、私たち日本人の99%の人はこのレポートの存在すら知らないのです。
 なぜなら日本の政府、マスコミが完全に黙殺したからなのです。このレポートには食品業界にとって「不都合な真実」が満載されていたのです。日本という国は「3・11」で暴露されたようにその視線は常に業界や米国に向けられていて、国民に向けられていないのです。そして、死亡者の30%ががんで死亡し、60%以上が生活習慣病で死ぬという悲惨な国になってしまいました。−以下、次号−     (2012.4.10)


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